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一般個人のみなさまへ

2025年問題は通過点

 団塊世代が全員75歳の後期高齢者になる2025年が「問題化」されています。しかし2025年が問題なのではなく、すでに高齢社会の問題は肥大化していっており、さらにどんどん複雑化・深化していくのです。2016年から大学に入りなおし、社会福祉学を学んでいますが、社会保障・福祉の歴史、変遷をたどると、実は「繰り返し」であることも発見しました。いつの時代も社会問題はたくさん抱えています。乗り越えてもまた新たな問題が発生します。ではこれからの時代何が必要となってくるのでしょうか。

 国は地域包括ケアシステムを推進し「自助・互助」をベースに、それが難しいなら「共助・公助」で補うと言っています。私自身は最初この考え方に反発でした(笑)。社会福祉学的にも「本来は、公助がベースにあり、その上に自助・互助があるべきだ」という理論が中心です。私もそう思います。ただ、いまそれでケンカしていても埒があきません。それこそ机上の空論。もう時間は待ったなしの状態まできています。

 「自助・互助」「共助・互助」とは何か。自助は多くの方がお分かりかと思いますが、「自分で何とかする」です。互助は、家族や隣近所の人の支援、ようするに「お金」が介在しない助け合いです。国の考えとしては、これがベースと言っています。しかし、それが無理な人、いかんともしがたい場合もあります。その場合に、共助=社会保険制度によるお金の介在する支援(介護保険など)、それでも難しい場合は、公助=生活保護などの福祉制度で助ける、ということです。

 この「自助・互助」論は、社会福祉学の歴史を勉強すると明治時代にさかのぼった考え方です。その時代「恤救規則」(これ読める人はほとんどいないですね、“じゅっきゅうきそく”と読みます)がありました。「無告の窮民」=誰も頼る人のいない、極貧者、老衰者、廃疾者、孤児等を対象として、米代(下等米)が支給されていました。基本的に、家族や町内会の人が助けることが前提だったのです。

 時代は繰り返す、のかもしれませんが、明治時代と同様ではないにしろ、自分と周辺でなんとかしてください、というのが今の方向性です。ただ、こんなことは「言われてすることではない」という点で、やはり反発心がわいてきます(笑)。とはいえ、ホントに切羽詰まって来てる今の社会です。かくいう私も昨今は地域の集まりにはできるだけ顔を出しています。何かできることがあれば、できる範囲でやっていこう。それぐらいのレベルですが。いずれ自分も助けてもらうかもしれない。これは事実だと思います。

 誰もが不安を抱えている社会になりました。「不安、不安」というだけでなく、「誰かにやってもらう」だけでなく、「自分からやる」も大切なのだと実感しています。


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